1929(昭和4)4月に日本大学理工学部1号館は竣工された。当時は現在の褐色タイルではなく、白タイルであった。
主な主用室は
地階 学生控室、受付、物理化学実験室、機械実験室、ボイラー室、少使室、電気室
1階 事務室、教授室、図書室、物理化学教室、食堂、会議室、便所
2階 幹部室、各科教室、製図室、研究室、便所
3・4階 2階に準ず。
5階 やや大なる室を設けたり
『竣工』より
当時の理工学部はこの土地に大学の機能を集約しなければならず、とてもコンパクトな校舎というよりはキャンパスである。1号館はコの字型の平面構成であるが、これは採光面への対応によってであり、当時はポピュラーな平面であったようだ。
正面玄関のポインテッドアーチや柱、壁の凹凸による垂直を強調などからゴシック式建築の要素が大きい。しかし一方ではスカイラインにある装飾の帯によって水平の強調もみられる。これはルネッサンス式の特徴であり、1号館の様式はゴシックとルネッサンスとの折衷様式である。
1号館には目立つほど装飾は無い。その理由の一つにはもちろんモダニズムの影響も考えられるが、やはりコストの問題が多かったように思う。外観は外から見える部分はタイル貼りだが中庭部分にはタイルは無い。装飾も正面玄関部分は凝ったものではあるが、その他は玄関部分庇、地階窓部分にあるのみである。内観は正面玄関を入って左側部分、中央階段親柱及び階段装飾、東側階段親柱、151教室、そこまでの廊下、153教室程度である。1階部分は当時の会議室であったため、その他は特別な部屋であった151教室へのアプローチの演出であったようだ。
1号館の設計者は第1回卒業生の長井郁郎、江崎伸一、足立宗四郎らであった。母校の新校舎を自らの手でという熱い思いは、日大の教育に関わっていた長井郁郎を中心に設計された。母校を愛する者によって作られた1号館は学び舎としてだけではなく、理工学部のシンボルとして70年余りこの駿河台の地に建ってきた。理工学部は顔を失っただけではなく、精神も失ってしまったかもしれない。
旧151教室
旧食堂
旧製図室